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永遠の紅蓮

第9話 ネツニウカサレテ


 月ノ宮学園の掲示板に『今日から高等部短期休業』と書かれてあるのを悠は知っていた。

 赤い洋館、紅蓮の冷たい地下室。階段の奥にある重い扉を開けば、モニターとガラスの向こうを注視している金髪の男性がいた。
 その部屋では、女性が剣を構えている。
 凛々しい声は室内をビリビリと振動させ、悠の耳へと届いた。
 大学はまだ講義が残っているが、彼女の訓練には全て悠が同行している。
 貴広から無理をさせないようにと言われ、こうして自分が付き添っているのだ。
 千影の腰から出た双剣が光る。目の前のホログラム型の敵に対して、容赦のない斬撃を繰り返す。頸動脈と心臓を貫いて、ホログラムは消えていった。
 次々に出てくる敵を、千影は急所を貫いて消滅させていった。
ホログラムの血が、彼女に降り注ぐ。
 様子が違う、とは思っていた。
人が変わったように訓練に明け暮れる千影は、見ていて痛々しいくらいだった。
 機械から音が鳴り始める。訓練に設定した人数が尽きたことを確認して、悠はホログラムを消した。
 一気にガラスの向こうは、白が広がるだけの部屋に逆戻りしていった。
「訓練終了だ」
「もう一度……頼、む」
「駄目だ。休憩を入れろ」
 訓練の最中、時折彼女が苦しそうな顔をしていることを、悠は見逃さない。
 あれから何度も「助けられなかったのは俺の責任だ」と言い聞かせているのにも関わらず、千影は首を横に振るだけだ。
 激しく肩で息をする千影の手首を無理やりつかんで、出ようとする。だが彼女は抵抗し、動かない。
「……毎日、訓練のし過ぎだ。学校の宿題とか、遊ぶとか、あるだろう」
 彼女の足元がふらつく。無理もない、休みなく訓練を続けている。
その上、呼ばれれば悠と共に氷蒼を追い払いに行くのだ。
 体を抱きとめると、ひどく熱かった。顔も赤い。
まさかと思い、悠は額に手を当てると、そのまさかだ。
「……お前、熱あるの黙ってたな?」
 悠の腕の中で、千影はぐったりとしている。精神を集中させることで変えられる服は崩れるように消え去っていき、力なさげに彼の服の袖をつかむ彼女が目を閉じているだけだ。
「……はぁ」
 ここで黙って千影を支え続けていても、なにも状況が改善されない。
 千影を俵のように肩に担ぎあげて、ドアを開ける。
 お姫様抱っこでもしてやりたいところだが、訓練室のドアは厚い。
 片手で思い切りドアを開けて前に進んでいくと、訓練に向かう途中だろう樹とすれ違う。担がれている彼女を見て彼は、一瞬顔を強張らせた。
「……どうした」
「疲労っぽいな。これから連れて帰ろうと思って」
「お前の家に?」
 悠は答えに困った。確かにそう言われれば、彼は千影の家を知らない。
 数秒黙っていると、教える気はないのか樹は悠の横を通り過ぎていく。
「波原さんから車でもなんでも借りて、とっとと千影休ませろ。……変なことすんなよ」
「……ああ」
 全く、素直ではない。嫌われているのかもしれないが。
 悠は苦笑いを浮かべて、ベッドのある部屋に向かった。そこで千影を休ませてから、波原の部屋に向かう。
 貴広に車を借りるなら、話を通さなければならない。
 軽くノックをすると、ドアの中から「どうぞ」と声が聞こえた。
「よう、貴広」
 波原は相変わらずなにか書類に向き合って、頭を悩ませている。
 戦わせれば一番強いだろうに、その拳を上げることはほぼないのだ。
 顔を上げた波原は、どこかホッとした表情を見せる。仕事が難航していたのだろう。
「ああ、悠か。どうした?」
「千影が倒れた。家まで送っていくから、車貸してくれ」
 ピタリと波原の表情が固まる。
「回復しそうか?」
「ストレスと疲労だろうから、わからん」
「そうか。なるべく早めに治すように伝えておいてくれ」
 車のキーを渡してから、波原はまた目を伏せて書類に目を走らせる。悠はこのとき、少しの苛立ちを覚えた。片手を波原の机につき、睨み付ける。
「……もっと他に言うこと、あるんじゃねえの?」
「なんのことかな」
 人の考えていることに聡い波原だ。千影の好意に気付いていないわけがない。
 一方、彼は机の前で両腕を組んで、微笑んでいるだけだ。
 悠はハッキリと口に出すことをためらい、背を向けて頭をかいた。
「それじゃあ、千影のことは頼むよ」
「へいへい」
 お互いに今まで数年間、干渉することはなかった。だからこれからも、それはないだろう。
 出ていく瞬間、波原がなにかを口に開いた気もしたが、悠は無視をしてそのまま外に出た。
「ほんっとになぁ……なんで俺がイライラしてるんだか」
 とっさに口に出そうとした言葉は、そのまま悠に返ってくる。「好意に気付いているなら、ハッキリしてやれ」だなんて、悠が言えたことではない。少なくとも、状況としては貴広のことを好きな千影を、彼が利用している。
 だが貴広には筋を通せなど、なんと理不尽なことか。
 千影を寝かせてきた部屋のドアを開けると、ベッドに両手をつき、起き上がろうとしていた。
 慌てて悠は駆け寄り、その体を起こしてやる。
「お前……」
「訓練の、続きを……中断させてすまない」
 彼の体に倒れ込むようにして、千影は荒く息を吐いた。柔らかく熱い身体が倒れこんできて、思わず生唾を飲み込んでしまう。
 だが今は、説得の方が先だった。
「……突入予定はまだ先だ。いまお前が休んでも、誰もお前を怒らない」
「私がこうしている間にも、誰か、が、死んでたら、私は、イヤだ」
 悠は千影の両頬を思い切り手のひらで挟み込む。そのまま数秒グリグリと頬を回されてから、頭に疑問符を浮かべる千影を前にして悠は真剣な顔で話し掛けた。
「お前、いい加減にしろよ。あのな、そう思うんだったらとっとと休んで治せ。ここに戦える人間は、俺と陸、貴広、棗さん、蓮、麗奈ちゃんがいるんだ。俺らを信用する気にはならねえか」
「ち、が……」
 ふらりと倒れる千影を、悠はしっかりと支えた。元の体重が軽いのだろう。その重さは苦にならなかった。
 千影は悠に抱きつき、決して涙を見せないような姿勢で低く嗚咽を上げる。
 抱きしめられていることに気付いた悠は驚いて引き剥がそうとするが、その直前で彼女の心情を想い、軽く背中を叩くだけに留めた。
「違う、私の意地なんだ……」
「なんのだよ」
 紅蓮に彼女を引き入れたのは五月だ。もう七月の後半で、事件そのものの被害者は月十人だったものが半数近くに減っている。
 人数が少なくて突破は不可能、牽制のみをしていくという方針は、千影と樹が入ったことで解消され、計画は進んでいる。
 それのどこが、負い目に映る要素があるのか。
「いつまでもお前に守られているわけには、いかないんだ……お前に見捨てられるわけには」
 その恐怖心が、千影の体を通して直に伝わってくる。
 熱で浮かされているせいか、彼女の口からは言葉が滑り出て止まらない。
「だ、ダメなんだ。出来損ないだから、見捨てられて、私は」
「千影」
 首の後ろを悠がトンと叩く。瞬く間に意識を失った彼女は、そのまま彼の胸に倒れこむ。
「……おやすみ」

 頭が重い。
 ぐるぐると視界が周り、思考も回っている。
 訓練の間はなんとか耐えられた。だけど、途中から記憶がない。
 記憶をたどると、それは悠の前で途切れていた。
 自分の家ではない茶色い天井、誰かがいる。
 千影は思い切り起き上がった。
 誰が私を連れてきたのか。
 ふらつきながらも、リビングに向かって行くと、見慣れた金髪姿がキッチンに立っていた。
 彼が振り向く瞬間、その横顔がなにかの映像と重なって一瞬ブレる。マントをつけて、凛々しい顔をした誰か、だ。
「……起きたか。わりいけど服、着替えさせてもらった。ソファーに座ってろ」
 なにを当たり前のように、と言い掛けて、千影の腹が鳴る。
気付けば、服は悠のパーカーだろう。有り得ないくらいにサイズが大きい。
 苦笑いを浮かべて、悠は皿をテーブルの上に置いた。一人用の鍋の中では、玉子粥が湯気を立てて食欲を促す。横には水だ。
「食えそうなら大丈夫だな。まず食っとけ。俺の家だから安心しろ」
 どう礼を言っていいかわからず、千影は頭を下げる。「いいから食え」と軽く頭を叩かれて、「いただきます」と呟いてからそっと粥を口に運んだ。
「――美味しい」
「あっそ。そりゃ良かった」
 彼はといえば、照れを隠すように千影から視線を外し、そしてメガネをかけて本を読み始める。教科書なのかわからないが、かなり分厚い。
 食器の音と、ページを捲る音、そして時計の秒針が動く音だけが部屋の中に響く。どちらも口を開くことはなく、ようやく喋ったのは鍋が空になったのを見た悠だった。
 本を閉じる音がして、千影は顔を上げる。
「……手作り?」
「俺は病人にインスタントを作る気にはならん。お前は疲労だ。夜になったら送ってやるから、食ったら寝ろ」
 皿を片付けた悠が、興味無さげに目をそらす。
「あ、ありがと」
「治ったらたっぷりコキ使ってやる」
 満腹と安心感からか、千影は既にウトウトし始めていた。
 それを見た悠はため息をついて。千影を抱き上げる。優しくぬいぐるみを扱うような手つきだ。
「一人で歩ける……」
「歩けなさそうだから俺が貸しを押し付ける」
 さっさと寝室に彼女を抱き上げて連れて行った悠は、そっとベッドに彼女を寝かせた。
 よく見てみれば、悠の部屋だ。茶色で整えられた家具と、薄暗い枕元のランプが余計に落ち着く。本棚にはよくわからない文字の本がびっしりと並んでいて、机の上にも山積みにされていた。
 ベッドに寝かせられた千影は、悠の顔を見上げた。ひやりと額に彼の手が乗ると、すうっとなにか構えていたなにかが抜けていくのを感じる。
「うん、まあ熱は下がってるな。お前、人いると眠れない奴?」
「いや……そんなことは、ない」
「あっそ。じゃあ俺、すぐ近くにいるから。苦しかったら呼べ」
 言うなり悠は椅子に背を預け、机の電気をつけてまた本のページをめくり始める。
そういえば大学生だと言っていた。
 シャープペンシルを紙に走らせる音と、時折彼がコーヒーをすする音、ため息も聞こえてくる。物音一つ一つが、大きい。
 ふと悠は、千影に視線を向けた。バッチリ目が合い、千影は視線をそらす。
 彼の気配が近付いてくるのがわかった。どぎまぎしていると、その手が軽く握られる。
「眠れないか」
「……お前が普段と違いすぎて困っている」
 きゅっと手を握り返すと、千影の手を悠は親指でさすり始める。それは確かな安心だった。
「流石に病人にゃ優しくしねえとな。特に頑張りすぎて体調崩したどっかのバカには」
 どう返したものかと黙っていると、なにかを勘違いしたのか悠が慌てて言葉を付け足してくる。
「俺は家に女入れたことはないからな。安心しろ、お前が考えてるようなことは、この部屋ではない」
「……どうして家に女の人入れないんだ?」
 率直な疑問だった。普段なら怒って返すところだが、悠があまりにも真剣に否定するもので、ついつい聞いてしまう。
 少し待つと、ためらいがちな声が聞こえてきた。
「……起きたら忘れててくれるか」
「うん。割と頭ぼうっとしてるから」
 そうか、と悠は少し考えてから、その先を話し始める。
「別にしたくて女と寝てるわけじゃないからだ。そんなことを、俺は自分の家でしたくない」
 それは確かに悠に垣間見えた本心だった。
「あと……死んだ彼女と、約束したから」
「……私は、いいのか?」
 問うと、悠は歳相応の笑顔を浮かべた。陸に近い、しかし寂しい笑顔だ。
 亡くなった彼女に関しては気にはなるが、立ち入っていい仲ではない。
「病人を放っておいたら、俺が怒られるからな。寝ろ寝ろ」
 頭をポンポンと叩かれて、そして、悠は微笑んでいる。話は終わり、といいう無言の意図を感じて千影は目をつむった。
 意識はすぐに手放されていく。

 次に千影が目を覚ましたとき、窓の外は真っ暗だった。
 フラフラするような不快感はなく、世界も回っていない。
 寝ているときもずっと右手に感じていた暖かさがまだある。
 そう思って横を見やると、悠が寝ていた。
 ずっと握ってくれていたのだろうか。
 彼女の右手は、暖かい悠の右手に包まれていた。
「ゆ、悠、悠」
 何度か名前を読んで体を揺らすと、悠は頭をゆるりと持ち上げた。寝ぼけた目で、くしゃりと前髪をつかんで千影の方を見る。
「……ああ。起きたか。具合はどうだ」
 立ち上がった彼は、そう言うなり千影の額に手を当てた。
 彼女の中でも、熱はもう抜けている。
「下がってんな。悪い、俺も寝ちまった。どうする? ダルいなら泊まっていってもいいけど」
 こともなげにそんなことを言うものだから、千影は動きを止めてしまった。
 熱できっと忘れると彼女自身も思っていた悠の言葉は、しっかりと記憶の中に刻み込まれている。
「いや、帰る。迷惑をかけた。明日からまた訓練を再開するから、指導頼む」
 それを聞いた悠は、綺麗にたたんである千影の私服を渡した。そして足早に、廊下に出て行こうとする。
「着替えたら出てこい。車で送ってく」
 もそもそとベッドから出て、タオルケットを直し、悠の服をたたみ、自分の私服に着替える。
 見回せば見回すほど、本しかない。一人で、過ごしているのだろうか。
 廊下に出ると、腕組みをして壁に背をあずけた悠が立っていた。チラと千影を確認すると、そのまま歩いて玄関の方に向かっていく。
「す、すまなかった。迷惑をかけた」
「そう思うなら明日も休んでろ。紅蓮にいたらはったおすぞ」
 眼鏡を外して悠は、顔をしかめた。こめかみに指を当て、グリグリとマッサージをしている。
「……お前も、休んだらどうだ」
 倒れた自分が言えることではない。だけど、疲れている様子の悠にはそう声をかけるしかできなかった。
「アホ、俺が一番紅蓮の中で強いんだぞ。俺が倒れてたら話にならねえ」
「お前が倒れたら私が介抱してやろう。それで貸し借りなしだ」
 寝起きだからか頭はぼうっとするが、じきにそれも抜けていくだろう。
 靴をはいて、二人は外に出る。
千影のスマートフォンからは、樹からの着信が入っていた。
「わかった。億が一にも俺が倒れたら頼むわ。……どうした」
「樹から、電話が」
「ああ、紅蓮で会ったからな」
 心配してたぞ、と悠はさらりと言った。あとで連絡しておこうと決意して、悠がエレベーターで地下へのボタンを押すのを眺める。
 その間、二人は無言だった。
 なにを話していいのかも、なにに触れていいのかもわからない。
 お互いにそんな距離感が、流れている。
「……ま、後で連絡しとけ」
 到着の音が鳴ってから悠はさっさと出ていって、千影はそのあとを追う。
 彼は既に車に乗り込んで、エンジンをかけていた。
「乗れ」
 おずおずとその車の助手席に乗り、ドアを閉める。シートベルトをして、窓の外を眺めた。車内にクーラーの冷えた空気が広がっていくのが肌で感じ取れる。
 ゆるやかに車は動き出し、しばらくの間、ふたりとも口を開くことはなかった。
 千影は頭がぼうっとして。悠はなにを話していいかわからなくて。
 それでも住所を伝える最低限の会話を交わし、彼女の家まで中盤の信号に差し掛かったときだった。
「……悠、ディートハルトさんって、マントしてた?」
 思わぬ問いに、悠は一瞬目を見開いた。前から視線を外さないまま、淡々と答える。
「してた、けど。それがどうした」
「うん、映像がかぶるくらいだったけど、ようやく、悠とディートハルトさんの姿がかぶって。まだ思い出せてはいないけど」
 かっこいい人なんだね。その彼女の言葉は悠を指しているわけではないのに、自惚れそうになって悠はグッとハンドルを握りしめた。
「あっそ」
 そろそろ煙草が吸いたい。
 悠はそう思いながら、車を走らせた。
 数分経ったころだろうか。悠は車を路肩に止め、千影の方を見やる。彼女の家までは、あと車で十分はかかる。
「千影、今すぐ樹か陸に迎えに来てもらえ」
「な……んで」
 悠は千影を睨み付ける。
「二度言わせるな」
 なにかあったのだろう、と千影は考えた。
 さっきまでの優しげな悠では、明らかに有り得ない声音だ。有無を言わせない。
 千影は、自分がいまこの状態で役に立てるかどうかを、考える。考えて考えて、自分は足手まといだと判断した。
 すぐさま樹に電話をかける。
 二コール目で樹は出た。
『もしもし』
「……千影です。樹、ごめんね。迎えに来てほしい」
『うん、いいよ。わかった。何処にいる?』
 驚くほど、いつも通りだった。
 悠の方を見ると、カーナビで現在地を指差している。それを伝えると、樹も街に出ている最中だと答えた彼は十分ほどで到着し、窓をこんこんと叩く。
「……樹」
 前となにも変わらない、笑顔だ。
 悠に肩を叩かれ、外に出るとその手を樹が取った。慌てて後ろを振り返ると、悠は虫でも追い払うように手を払う。
 信じろと悠が言ったのだ。
「悠、一応礼を言う。助かった」
「今夜は俺の半径一キロ以内には近付くなよ」
 二人の視線が交わる。鋭い視線だった。
 樹は頷き、そのまま千影の手を引いてずんずんと先に歩いていく。
「ゆ、悠、ありがとう!」
 最後の言葉を、悠は追い払うようにしてから受け取った。
 煙草を取り出し、ライターで火を点けて煙を吐き出してから、ゆっくりと悠は外に出た。
「……蒸し暑いな」

 千影と樹、それぞれの部屋の前にたどり着いてから、無言が生まれた。
 お互いに声を出していいのか、なにを話せばいいのかもわからない。
 だが、樹は千影の手首をつかんで離さず、黙っている。やがて、彼の方から先に口を開いた。
「……千影、オレはお前が好きだ」
 顔を上げた千影は、そのまま樹に抱きしめられた。男を感じて、千影はとっさに下をうつむく。
 告白、された?
「ずっと目を背けてたんだ。告白したら前みたいにはいられないのが怖かった。だから自分で壁を作って、そこから千影を立ち入らせないようにしてた。もうやめる。答えをくれ、千影」
 どんどんと、千影を抱きしめる力が強くなっていく。胸が締まりそうだ。
「い、樹」
「延ばしすぎた。お前の言いたい答えもわかってる。ただオレが進むきっかけをほしいだけだ。言ってくれ」
 今までより、もっと真剣に向き合われている。千影はそう思った。
 関係が崩れると確実ならば、彼女は勿論怖い。
 だが、その確証は何処にもないのだ。
 樹の腕を軽くつかんで、千影は樹の目を真っ直ぐに見つめた。
「ごめんね、樹。好きな人が、います。だからあなたとは付き合えない」
 返事は無言だった。ただ、鼻をすする音が聞こえてくる。
 もっと、心を包み込むような強さで抱きしめられた。耳元で、樹の嗚咽が聞こえる。
「うん……うん、知ってた」
 冷たい彼の涙が、千影の頬についた。
 ありがとう。それしか、彼女に言えることはない。そして、彼を精一杯抱きしめることしか、彼女にできることはなかった。



 もう五年ほど、氷蒼と紅蓮は睨み合っていることになる。その中でお互いに闘争を繰り返していれば、自然と街の中でひとけのないところを覚えるようになった。
 背後からついてくる気配と一定距離をとりながら、悠は比較的静かな住宅街の中で足を止めた。
「……ここが妥協点だ。出てこい」
 ポケットに手を突っ込んだ悠の周りを、五人の男たちが取り囲む。その武器の切っ先に囲まれながら、悠は薄く笑った。
「なんの用だ? デートをつけ回すとか、いい趣味だな」
「君は見た目以上に危険な男だからな。それに用があるとき以外、私は君に付きまとわない」
 ハイヒールの音と共に、赤いスーツの女性が彼の背後に姿を現した。彼女が一気に広範囲の結界を構築するが、悠は姿を変えずにただ、そのままだ。
「俺は猟犬だからな。貴広の命令があれば、いつでもあんたの喉には食らいつくぜ」
「あまり生意気なことを言ってくれるな。君の心臓に穴を空けたくなる」
 佐原涼子はくすくすと笑いながら、悠の手を取った。その手の中に、一枚の手紙が渡される。
「さて、私はこれまで君の大事なものを人質に取って、この手紙を貴広に渡してもらっていたな。今回の人質は、高里千影だ。君が前世でも今世でも大事に大事にしている、君のお姫様だよ、悠くん」
「……いつ俺が、アイツを大事だと言った」
 不愉快そうに歪めた彼の表情が、苦痛で更に歪んだ。
 涼子の正拳突きが、なんのためらいもなく悠の腹部を殴ったからだった。
 地面に跪き、空気を求めるように咳をし続ける。
「君の大事な大事な彼女を殺したのは誰だと思っているのかな? それもわからなくなるほどにバカになってしまったのかな?」
「アイツに……千影にだけは、手を出すな。貴広の、お気に入りだ……」
「君たちがなにを考えているのか、私には計り知れない。私は君にこうして圧力をかけることしかできない。……いいか、蓮見悠」
 ハイヒールが悠の腹部にめり込む。激痛に悠は息を吐き出した。
「これは交渉ではない、脅しだ。三日後、波原貴広を指定の場所まで必ず連れてこい。でなければ、高里千影の首から先に切り落としていく」
 悠は目を見開いて、顔を上げた。彼を見下し、月夜の下で邪悪に微笑む涼子の目には、狂気さえ見える。
「……なん、で、俺の一番大事な人が千影だなんて、アンタにわかるんだ……」
「おや、違うのか?」
 空間が溶け、ハイヒールの音が遠のいていく。
「君があの子を眺める瞳は、美亜を見る瞳そのものだよ」
 涼子はその言葉だけを、悠に残していく。


第10話へ続く


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