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永遠の紅蓮

第10話 どうにもこうにも動けません


 麗奈も珍しく紅蓮の訓練に参加し、シャワーを浴びたあとのことだ。
「そうだ、あたしと千影と棗さんで、女子会しよっか!」
 唐突なその言葉に、千影は目を白黒させる。
 そんなこと、全く経験がない。
「じょ、女子会……!?」
「貴広さんに許可貰ってー、お泊まりで! ね、今日やろう今日!」
「流石に急すぎて棗さんも対応しきれないんじゃ……」
 麗奈の勢いに押されて後ずさったとき、いきなり天井から穏やかな声が聞こえてきた。
「あら、別にいいわよ?」
 びっくりする千影の目の前に、棗が降り立つ。
 何をしていたのか全くわからないが、きっと天井裏の掃除なのだろう。
 麗奈は棗の手を握りしめて、勢い良くまくしたてた。
「さすが棗さんっ!」
「前に泊まったのは一年前くらいだったものねえ。それに、千影ちゃんともお話ししてみたかったの。疲れは大丈夫?」
 棗にふわりと頭を撫でられる。
 いつの間にか大人の穏やかさを感じさせる雰囲気に、包み込まれていた。
「だ、大丈夫、です」
「うん、それじゃあ決まりね」
「じゃああたし、貴広さんに話してこよーっと! 棗さん、またあとでね!」
「ええ」
 即行動だ。
 あまりの進展の早さに、ぽかんと口を開く。
 とりあえずこれからどうしたらいいんだ?
 そう思っていると、エントランスの中央階段から悠と陸が姿を現した。
「千影ちゃん! この間疲労で倒れたってマジ? 大丈夫? もうオレに連絡くれたら看病行ったのに〜」
 出会い頭に抱きつこうとしてくる陸に後ずさると、その前に悠が彼の襟足を掴んで引き戻す。
「なんだよ兄貴〜」
「やめておけ。棗さん、どうも」
「こんにちは。今日はどうしたの?」
 棗がそう問うと、悠は言いづらそうに視線をそらす。しかし付け足すように、「昼寝しに来ました」と答えた。
 それが本心ではないだろうことが、千影にはわかっていた。
「そう。あまり寝すぎないようにね」
「気を付けます」
 悠は不意に千影へと視線を移す。
 口を開いて、閉じて、そして結局喋ることはなかった。
「兄貴なに金魚みたいになってんの? さーて行くよ行くよ、千影ちゃん、棗さん、またね」
 陸と悠が何をしに来たのかわからなくて、つい引き止めた。
「……仕事?」
 それは陸に届いたようで、振り向いた彼は頷いて、大げさにため息をつく。
「千影ちゃんの言うことだけ聞くって言ってんのにさ〜、人使い荒いよね貴広〜。その器はあるかな、って思うけど〜」
 陸の表情は苦笑いだ。
 嫌がっているようには見えず、心のどこかで安心する。陸を連れてきたのは、千影だからだ。
 答えようとすると、後ろの方からバタバタと複数人が走ってくる音が聞こえる。
「悠っ、近くに美味いって評判のラーメンがあるらしいぜ!」
 西宮と樹だ。樹は半ば西宮に引きずられる形で走ってきている。
「いだっ、いてえっ、いてえっつーの、蓮! なんなんだよお前さあ、うるさいんだって!」
 悠に勢い良くラーメンの話をする西宮の後ろで、樹がまくし立てるように文句を言う。
 中央階段でほぼ紅蓮のメンバーが揃っている状態だ。
 と、樹と千影の視線が合う。一瞬だけ樹は微笑んで、すぐにまた西宮に怒り始めた。
 あれから一日経っているが、二人の間ではなにもなく、いつも通りだ。
「……なんだ、騒がしいな」
「あっ、みんな来てるじゃん!」
 中央階段をのぼってすぐのドアから、私服姿の波原と麗奈が出てきた。
 なんだか長い間波原に会っていなかった気がして、千影の心臓がきゅっと締まった。
「貴広くん、こんにちは」
 千影はそのとき、微かに棗の頬が赤くなるのを見つけた。
 なんだか、心の奥がざわざわとする。
「棗もいたのか。高校生は夏休みだろ、遊んできていいんだぞ」
 ポケットに手を突っ込んで、波原は階段を降りていく。
「そうそう、貴広さんが今日紅蓮でお泊まり会していいって! 千影、パジャマ買いに行こうよっ」
 その言葉に男性陣がいち早く反応する。西宮が音もなく麗奈に近付いて、「それっておれたちは……」と口を開いた瞬間、麗奈に睨まれる。
「女子だけで泊まるからダメッ!」
「女子……?」
 波原が足を止めて、棗の方を見る。
 言いたいことがわかったのだろう棗が、歩いていって波原の肩をつかんでニッコリ笑う。
 しかしその手は、彼の肩にぎりぎりと食い込んでいた。
「いって、悪い、いや、他意はない。三十過ぎるまでは大丈夫だとおも……ててて」
「貴広くん、その三十までにあと二年しかない私になにか言うことは?」
「すみませんでした、いや、おれもあと二年で三十路なんだけど」
 珍しく笑っている、と思った悠の横で、千影が複雑そうな表情を浮かべている。
 悠はなにか慰めておいた方がいいかと考えるが、その前に陸が千影の手首をつかんで先へ歩き出す。
「じゃあ兄貴、流石に女の子の買い物くらいは手伝おうか?」
「樹とか蓮が行けばいいだろ、なんで俺……」
 そこまで口にして、悠はあごに手を当てた。
 コイツは貴広のことが好きだった、頭の中で確認する。
 千影の肩を軽く叩き、まだ騒いでいる連中を上に残したまま階段の上にのぼる。
「どうした?」
「ブルーマウンテン」
「……うん?」
 ポケットに入っていた紙に、胸ポケットにさしていたボールペンを取り出して豆の名前と店の住所を書き足していく。
「俺、ここの豆じゃないとコーヒー飲めないんだよな。貴広しか店知らなくてさ。次からお前に買いに行ってもらうから、二人で買ってこい」
 メモを受け取った千影は、ポカンと口を開けた。その言葉の意味に気付いて、まるで神を見るように悠を見た。
「悠……!」
「まあなんだかんだで、協力してなかったからな。たまには」
「わかった……!」
 千影の表情が思わず笑顔になって、悠の表情がつられて綻んだ。
 滅多に見ない悠に、とくんと心の奥でなにかが響く。
「じゃあ、あとで頼む」
 悠はあっさりと千影に背を向けて階段を降りようとするが、その歩き方に違和感を覚えて咄嗟に腕を掴む。
「なんだ」
「何処か痛めてるか?」
 悠は千影を鼻で笑った。
 なのに表情からは隠し切れない疲労と苦痛の色が見える。
 千影は心配になり手を伸ばしたが、触れる前に悠が背を向けた。
「馬鹿言うな。じゃあな」
 降りていった悠は、西宮の首根っこをつかむ。
「おわっ!?」
「ラーメン食いに行くんだろ」
 悠はすれ違いざま、波原に手紙を渡した。
 何食わぬ顔で手紙を受け取った彼は、行ってこいと手を振るだけだ。
「俺らメシ食いに行くから、陸と樹は手伝ってこいよ。じゃあな」
「あっ、悠!」
 外に出ようとした悠の袖を引いたのは、麗奈だった。
 そういえば、しばらく連絡を取っていない。
「どうした」
「あの、今度、会える?」
 悠は軽く肯定の返事をした。
 すると麗奈の表情が、目に見えて明るくなる。
 そんなに自分といることが嬉しいことなのか、聞いてみたらきっと麗奈は怒るだろう。
「じゃあ、また連絡するね、ばいばい」
 走って麗奈は階段の上に戻っていく。目で追っていると、千影と目が合った。
 何処か刺すような視線の千影に罪悪感を覚え、悠は咄嗟に目をそらす。
 自分の心臓を貫くような瞳の千影が、頭から離れなかった。

 紅蓮で待っていると言う棗の言葉に甘えて、千影は麗奈、陸、樹と街に出る。
 家に一回帰ってもいいのだが、生活用品は棗が紅蓮に買い揃えているため、一泊二日であれば事足りる。
 故に用意するのは、大量のお菓子と食事の材料、そしてパジャマだ。
 四人でスーパーに寄り、樹の両手が塞がるほどのスナック菓子とペットボトルを購入する。
「……黒木、こんなに食いきれんの? 夜中にこの量食うとかふと」
 麗奈の裏拳が素早く飛び、樹は危うくかわす。拳は彼の頭上でぶぅんと音を立てた。
 それを見た陸は、触らぬ神に祟りなしと、そそくさと千影の隣に移動する。
「つまらないこと言わないでよ森谷ー。まだなにか、言いたいことある?」
「い、いや、ないです……」
 麗奈と樹が知らぬ内に仲良くなっていることに対して、千影は嬉しくなっていた。
 樹も他の友人と話はするが、基本的には千影にべったりだ。
 それが今は、麗奈とも話をするようになっている。
 流れるように陸が千影の持っていた荷物をヒョイと持ち上げた。
「持つよ」
 陸の笑顔は、太陽のようだ、と千影は思った。
 自分が必要とするとき、陸は必ずそばにいてくれる。
 押し付けがましくなく、まさに、従者だ。
「ありがとう」
 でも、だからこそ。
 彼は縛られているのではないか、と、ずっと考えていた。
「千影ちゃん、課題終わった?」
 人の波をよけながら、陸は千影に話し掛けてくる。その様子が、本当に嬉しそうだ。
 千影は波原のことを好きで、なおかつ悠と偽の恋人関係を続けている罪悪感を持ち始める。
「まだかな。最近、訓練ばっかりしてるから。陸くんはなにしてるの?」
「オレ? オレは補習かなー。中学校卒業してからずっと世界中フラフラしてたからさー。まさか千影ちゃんが、日本にいてくれるとは思わなかったよ」
 軽く陸は笑って、差し掛かった信号の待ちボタンを押した。
「……私を、探して?」
「うん。千影ちゃんを探して。……おっと」
 危うく他の人にぶつかりそうになった千影の肩を、陸は抱き寄せる。
 記憶はない。だけど、千影はこの距離が一番安心する、と思っていた。もし千影が望めば、陸は、全てを犠牲にしてくれるだろう。なにもかも捨ててくれるだろう。
 だけどそれは、彼のためにはならない。
 そして今の状況は、陸に筋を通せないのだ。
「でもオレも旅好きだったから、たくさん写真撮ってきた。いつか会えたら、見せようって。オレが見てきたもの、全部」
 隣の麗奈と樹は、相変わらず喧嘩をしていた。パジャマのある店までは麗奈頼みだから、千影たちは着いていくしかない。
 陸から視線をそらせず、千影はじっと彼を見つめた。
「……え、いやいや、別に押し付けがましい気持ちじゃないよ。ただ、今の時代で共有できるものってあるでしょ。オレはただ、千影ちゃんのそばにいたいだけだから」
 それじゃあ、陸くんの気持ちは、と、千影は聞けない。
 気持ちがわからないのに、それを聞くのは彼を傷付けることになる。
 黙り込んでいると、慌てたように陸は付け足した。
「だ、だからそういう下心とかは、ないって。多分」
「多分なの?」
 聞いてみると、彼の顔は真っ赤になった。悠とは全く反応が違う。
「……多分だと思ってくれてたら、嬉しい」
 陸の微笑みに千影は曖昧に答える。
 今はそれしかできなかった。

 一方紅蓮では、昼食をとった悠と西宮、そして棗と波原が部屋の中で難しい顔をしている。
 波原が手紙を開封したのだ。
「こーれはなぁ……」
 西宮の顔も流石に険しかった。棗の心配そうな視線は、ずっと波原に向けられている。
 当の本人は落ち着いた様子でコーヒーを口に含む。
「なにが目的かはわからないけどな。そろそろ樹も使えそうだ。棗、樹と一緒に動け」
「わかったわ」
 棗はしっかりと頷き、姿勢を正す。
「しっかし悠、これおれらに言っていいの? お前渡されてきたんだろ」
「あっちのボスも護衛は連れてくるだろうし、これで俺らが貴広に護衛つけていかないっていうのは馬鹿だろ」
 悠はため息をついて、窓に背中を預けた。
 煙草を吸う気にもなれない。
 千影が人質に取られているとは言わなかったが、心中は穏やかじゃない。
「俺と蓮、棗さんは、あんたにほぼ事情を聞かずに協力してる立場だ。そろそろあっちのボスとなにがあったか、聞きたいところなんだが?」
 悠が言うと波原は微笑みを浮かべる。
 波原が最初に会った人物は悠だ。
 事情を知ってはいるが、波原は紅蓮の全員にそれを知らせる義務がある。
だがこの表情は、教える気がない。
「おれはただ、この事件を終わらせたいだけだ」
「……でも、涼子さんと高柳くん相当強いんでしょう? できるだけ護衛は誰か必要」
「棗」
 波原は棗を鋭い眼光で睨み付けた。
 棗の顔がその恐ろしさに、青ざめる。
「名前を口にするな」
「ご、ごめんなさい」
 蓮が場の空気を変えるように、わざとおどけて言ってみせる。
「ま、貴広には休日出勤お疲れ様〜ってところなんだけど。今日はどうすんだ?」
「どうもこうもないな。いつも通りに殺して終わらせるだけだ」
 その瞳の昏さを、悠は何度も見ている。
 そもそも最初数回の波原と涼子の逢引は、悠が手配してきたのだ。
 なにを話しているのかはわからないが、事件が起こり続けていることは変わらない。
 だが、それを口に出したりしない分別はある。
 波原が急に立ち上がって、カバンを持って出口に歩いていく。
「帰る。悠と蓮は紅蓮に泊まっていけ。女性たちの警護ついでにすぐ動けるようにしてろ」
「アイサー」
 蓮は敬礼のポーズをとり、悠は頷く。
 棗は波原にどう声をかけていいかわからないようだった。
 帰り際に、彼が棗の頭をくしゃっと撫でた。  
 棗は波原を見上げる。いつも見る、穏やかで優しい波原の声だった。
「せっかくなんだから、楽しんでこい。こういうとき男どもはコキ使うに限る」
「うっ、うん……!」
 頬を真っ赤にした棗は、頷いて笑った。
 外に出ていく波原を、彼女は笑顔で見送る。
 これは難儀そうだ、と悠は千影を想った。
 それから数十分後、学生組が帰ってくる。
 悠たち三人は、普通だった。
 いや、極めて普通に振る舞っている。
 長くいる人間たちが不安な様子を見せてはいけない。
「なんの材料買ってきたのかしら?」
 棗が笑顔で麗奈に話しかける。
「鍋です鍋! 食べきれないほど材料買ってきちゃった、ね、森谷!」
「荷物持ちはオレと陸だけどな……っていうか鍋って。夏に」
 そんなふたりを見て、千影はニコニコとしている。
 悠がその様子を眺めていると、視線が合う。
 珍しく微笑んでいたからか、どきっとした。
「……なにか用か」
「お前あからさまに表情変えるな、俺でも傷付くんだぞ。今日、俺と蓮が泊まるから麗奈とかに言っといてくれ。貴広なら帰ったぞ」
 そう伝えると、千影は腕を組んだ。なにかを考え込んでいるようだ。
「いや、なんでもない。気にしないでくれ」
 千影はただ単純に波原が帰ったというので残念に思っただけだ。
 昔から表情が冷たいだの鉄仮面だの散々周りに言われる所以はそこにあるのか、と考え込んだ。
 そして、悠の用件をスルーしていることに気付く。
「ああ、で、なんだ」
「お前は……その、俺が麗奈ちゃんといたら、嫌か」
 さっき受けた視線がどうしても気になっていた。
 もし彼女が自分に少しでも好意を抱いてくれているのなら。
 そんな、小さじ一杯ほどの希望を無意識に抱いている。
 階段の手すりに寄りかかって、千影はそれを鼻で笑った。
「お前……」
「私は麗奈に誠実に向き合えと言っているんだ。私の感情? そんなの関係ないだろ、わかっていることを言わせるな」
 それとも、と千影は顎に指を当てて、妖艶な笑みを浮かべる。
 悠は彼女の美しさにグッと喉を詰まらせた。
「私に惚れているのか?」
「はー!? 有り得ねえし、お前みたいな色気ゼロパーセントの女子高生なんか願い下げだ、熨斗付けて返すレベルだっつうの!」
 咄嗟に返した大声がエントランスホールの中に響いて、周りのメンツがなんだなんだと視線を二人に集める。
 千影も黙っちゃいない。
 悠の運動靴をローファーで踏み抜く。
「わかってるっつーの、バカ悠!」
 二人が敵意を剥き出しにして睨み合っていると、苦笑いで陸が千影の腕を引く。
 のしかかるように陸は千影を抱きしめる。
 悠は苛立ちを隠しきれずに、あからさまに舌打ちをした。
「さー千影ちゃん、食材の下ごしらえ、オレとしよっか」
「……随分と仲いいな?」
「そうだね。同じクラスだし、よく話すし?」
 悠のまゆがぴくりと不快げに動く。
 千影は慌てて陸の方を見ようとするが、彼がそれをさせない。
「陸くん、ちょっと、暑い」
「ああゴメン。でも千影ちゃん、柔らかいし、いい匂いするから」
 もう一度、悠のまゆがぴくりと動いた。
 千影は悠のボルテージが上がっているのを感じ取って、慌てて陸から離れようとした。
 だが男の力に到底敵うはずもなく、悠が背を向けた瞬間に、ようやく陸の力が緩む。
「……昼寝する」
 廊下の奥に消える悠の後ろ姿を、千影はずっと見つめていた。



 紅蓮は洋館である。一番大きくていい部屋を使うということに決めて、夕飯はぎゃんぎゃんと男性含め騒ぎながらとった。
 無論女性のみで夜は過ごすため、男性は別室待機である。
 シャワーを浴びてからパジャマに着替えた。
 そして二人がいる部屋に入る。
 ピンクのパジャマを着た麗奈と、オレンジのパジャマを着た棗が、既にテーブルの上でお菓子を開けて談笑している。
「あ、千影。おかえりー」
「おかえりなさい。ジュース、あるわよ」
 ふたりともスキンケアは念入りにするらしい。ドレッサーの前には化粧水やら乳液やらが、並べられている。
「じゃあ、烏龍茶ください」
 椅子に腰掛けた千影はポテトチップスを一枚取ってかじりつつ、棗から烏龍茶を受け取る。
 スマートフォンに視線を移すと、既に時刻は夜の九時だ。
「ねえねえ!」
 麗奈がここぞと言わんばかりに詰め寄ってくる。
 千影はコップに烏龍茶を移していたが、思わず体を引いた。
 なにか嫌な予感がする。
「な、なあに」
「さっきまで棗さんと好きな人の話してたんだけど、千影って誰好きなの!? やっぱり陸!?」
「え、ええと……」
「あたしはやっぱり悠なんだよね、クールなところがたまんなくてー!」
 麗奈はポテトチップスを三枚一気に放り込む。
「棗さんは波原さんなんだって! お似合いだよね、ね!」
 口に留まっていた烏龍茶を、千影はゴクリと飲み込んだ。
 コップの縁を、知らずの内に噛む。
 十中八九その話題になるとは思っていた。
 棗が波原を見ていたのも知っている。
 だがこれは、キツい。
「そうだね」
 常に波原の横には、棗が付き添っている。
 その状況と関係性を考えてみれば、有り得ない話ではないのだ。
「なかなかつれないんだけどね」
 そう言って棗は笑った。
 大丈夫です。私よりは、心を開いてると思います。
 口にしたら嫌味ったらしくなるだろう。
 千影は膝の上に一旦置いたコップを、ぎゅっと握りしめる。
「で、で、千影は? 陸? 森谷?」
「あー……」
 千影は麗奈から視線をそらした。どう答えていいか、わからない。
 波原と回答したとして、間違いなく棗を遠慮させる。
 彼女が恋敵に対して攻撃的になるとは、考えられなかった。
「まさか、蓮さん?」
 答えづらそうにしている自分と、棗の目が合う。
 なんとか回避しなければ。
「リッ、陸くんかなー。すごく優しくしてくれるし」
「本当!? じゃあ、協力するよー! 悠にも頼んでみるしっ!」
 千影は思わず椅子から立ち上がって、全力で手を横に振った。
「い、いいっ、大丈夫、大丈夫っ! 悠にはいいっ、本当にっ!」
 あまりに全力で拒否したからか、麗奈の顔がポカーンとしていた。
 棗も、不思議そうな目をしている。
「で、でも、一番陸のこと知ってるんじゃない?」
「わっ」
 引けない。口に出すしかない。
 ここでややこしくなることは避けたかったが、結局いつかごまかさなければいけないのなら、男のいない前で。
「私がっ、一番っ、陸くんのこと、知ってる、からっ!」
 部屋中に響く大声で叫んでしまった。
 麗奈の手からチョコが落ちていく。
 違う。もっとこう、違うニュアンスのことを言いたかった。
 しかし、口に出した言葉は取り消せない。顔を真っ赤にした千影は、すとんと椅子に座った。
 棗がフォローするように、そっと口を開く。
「そっか、陸くんは千影ちゃんの前世で一緒に過ごしてたんだっけ?」
「そうなんです! だから、知ってます!」
 そろそろ自分の話を畳みたい。とっさに棗に視線を移す。
「棗さんは、貴広さんのどんなところが好きなんですか?」
 脳内で千影は頭を抱えていた。これでは地雷で、そして泣きたくなるような話が出てくる未来しか見えない。
 棗は柔らかくはにかむ。
「うーん、説明が難しいかな。どういう風に現せばいいか……わからなくて」
 棗が困ったように笑った。
 彼女は綺麗な人で、勝ち目なんか微塵もないことはわかっている。
 私服のポケットの中に入っている紙。
 これは、自分が持っているべきものではない。
 そんなことを考えながら、千影は話を合わせるのだった。

「……なにやってんだか。バーカ」
 トイレに通りかかった悠がその会話を偶然聞いていたことも知らずに。


第11話へ続く


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