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永遠の紅蓮

第12話 君のとなりで歩きたい


 次の日、千影は紅蓮に来て早々、カバンを落とした。
 絶対に来ると思っていなかった悠が、エントランスホールにある椅子に腰掛けて、人待ち顔だ。
 昨日あんな態度を取ってしまった手前、いかんともしがたい感情があって、どうしても先に話す言葉を決められない。
 カバンを拾って、声をかけられないままに通り過ぎようとすると、彼の唇が千影の名前を呼んだ。
「おいおい、無視か?」
 立ち止まった千影は、振り向きたくない気持ちをこらえて、ゆっくりと振り向いた。
「……麗奈と約束してるんじゃないのか」
「いいや? お前がまた早朝から訓練するだろうと思って、待ってた」
 立ち上がった悠は、昨日の様子など少しも見せずに軽く千影の肩を抱いた。
 シャンプーのいい香りと、小さな肩が悠を安心させる。
「まあ付き合ってやるからさ、午前中だけ訓練して、どっか行くぞ。ケーキ、食うんだろ?」
「っ……」
 決して悠に顔を見せないように、千影は顔をそらす。
 あまりにも悠が甘い声で囁くものだから、が最大の理由だった。
 彼の優しい声に、千影は一切慣れていない。
 その千影の感情に気付いた悠は、面白いものを見付けたとでもいうように口角を吊り上げる。
「なあ、千影?」
「わっ、わかっ……離してっ……」
 頬を染めて、必死で離れようとする千影の肩を更に強く抱き寄せて、悠はもっと甘い声で囁く。
「キスしていい?」
「ばっ、だっ、ダメだっ……!」
「貴広に言っちゃうけど?」
 彼女の体が、目に見えて強張る。
 視線をそらしたままの千影は、覚悟をしたような目付きをしてから、悠の方を見た。
「それはっ……イヤだ……」
 仕方なくといった形で、千影は目を閉じる。そんな彼女に、もちろん悠は唇を重ねる。
 いつの間にか、悠の心臓は鼓動を早めていた。もう彼女の唇に、何回キスをしただろうか。
 考えてみれば考えるほど、一度も同意を得たキスはない。
当たり前だが、千影は悠を好きにならない。
 数十秒の長いキスをしてから、悠はようやく彼女の体を離した。
 千影はすぐに後ろを向き、カバンを抱えて走っていく。
 彼女を抱き締めていた悠の手は、段々と冷えていった。
 どうしたって、こんな関係しかできないのだ。



 悠が少ししてから訓練場に向かってみると、千影は既に訓練を始めていた。
 付き合ってやるつもりだったが、と悠は待機用の長椅子に腰掛けて目を閉じる。
 用事があれば、呼んでくるだろうと、目をつむったのが間違いだった。
 いつの間にか寝ていたらしい。
 そのことに気付いたのは、目を開けたからだった。
「ん……」
 視界がぼやけながらも悠がとらえたのは千影だ。
 怯えたような表情で、千影は手を引く。
 気付いたのは、その体に彼女の上着がかけられていたからだ。
「……これ」
「貴広さんが来て、かけていった。私はお前を起こそうとしただけだ」
 背を向けた千影の手首を、悠は思わずつかんでいた。
 そして声に出そうとして――とどまる。
 上着がばさりと落ち、聞こえる音は機械の動作音だけだ。
 咄嗟に言おうとしたその言葉は、どうしても、出てこない。
「俺っ……俺、も、付き合おうか」
「いい。お前が近くにいると気が散る」
 悠の表情が珍しく強張って、なにか間違ったと気付く。
 五秒しっかり考えてからまた言い直した。
「……お前とのコンビネーションよりも先に、私は私個人の能力を高めたいという願望がある。お前を相手にしていれば、私は結局味方であるお前を怪我させたくなくて、手加減する。だから一人で訓練がしたいと、言いたかった」
 長いため息をついて、千影は悠の手をやや乱暴に振り払う。
 不機嫌になっていると、わかる態度だった。
「昼までに訓練は終える。それまで寝ていろ。お前が私の生活リズムに付き合う必要は何処にもない」
 反論しようとした悠の行動を遮って、千影はまた訓練室の向こうへと姿を消した。その手には既に、大きなフェニックスの剣が握られている。
怒っているんだか気遣われているのか、よくわからない。
 おそらく、その両方だ。
 じゃあ遠慮無く、と悠は目を閉じた。

 次に目が覚めて見えた光景は、彼女が椅子に腰掛けているところだった。
 カチャカチャと、なにかの音が聞こえる。
 腕時計に目を向けると、既に十三時半だ。
 寝過ぎたと慌てて起き上がると、椅子を回転させて千影は無表情で悠を見た。
 手には弁当箱と、箸を持っている。
「ああ、おはよう。起きたか」
「悪い、もう昼過ぎてっ……」
「いい、気にするな。起きないようであればもう少し訓練していくつもりだった」
 淡々と述べながら千影は、弁当箱の中身に箸をつけていく。
「弁当、自分で作ってるのか?」
「最低限な」
 上で食べなかったのは、悠がここで寝ていたからだ。
 一人にするのは、少し心苦しかった。
「お前は女の人とかに作ってもらうんだろ?」
 軽い気持ちでそう口にすると、悠からは苦笑いが返ってきた。
「いや、基本は俺の奢りでたっかいレストランばっかだ。俺は家で作るけど」
「ふうん。料理好きアピールで渡してくる人もいるかと思ってた」
 それは気の毒に、と千影は水筒のコップに口を付ける。
 その瞬間、悠の腹が思い切り大きな音を立てて鳴った。
 目を丸くして悠を見ると、珍しく耳まで真っ赤にして立ち上がる。
「……わ、わりぃ。ちょっと外でなんか食ってくる」
 その様子があまりにも普段のイメージとかけ離れていて、悠らしくなかった。
「あは……あはははっ」
 お腹を抱えて千影は笑い出す。
「なんだよ……」
 悠は部屋を出ていこうとするが、千影が服の袖をつかんでそれを止めた。
「わざわざ外食する必要はない。実はもう一個、作ってあるんだ。食べないか」
 そう言ってカバンから取り出したのは、弁当の包みだった。
 悠は受け取ってから、これを誰に渡すつもりだったのか、考える。
そして簡単に答えにたどりついた。
「……これ、貴広に渡そうとしてたんじゃねえの?」
「そうなんだが、訓練中に気が付いた。特にそんな関係でもない相手に弁当を渡すのは、個人的には、重い」
 指を立てて千影は、さも重要なことのように真面目に口にする。
 悠は何とも言えない気持ちになってから、無言で千影の隣へと座る。
 包みを開けると、シンプルな弁当箱の中にハンバーグと卵焼き、簡単なサラダと海苔が乗った白米が綺麗に入っていた。
「……食っていいのか、本当に」
 貴広のために作ったのに、と悠は小さな声で呟いた。嬉しいのに、苦しい。
 千影はふうとため息をついてから、小さく分けた卵焼きをぱくつく。
「どうせ帰っても捨てるだけだ。欲しい人の胃の中に入ればいい」
 回し飲みで大丈夫だったら、と千影は自分と悠の間に水筒のコップを置いた。
 余程お腹が減っていたのか、ハンバーグにかじりつくその姿は普段誰にも見せないものなんだろう。
 ひと通りのおかずに手をつけてから、はっと顔を上げて口にする。
「……美味い」
「そうか、それは良かった」
 千影は微笑んで、カバンからプリントを取り出した。
 そして筆箱からシャープペンシルを出し、そのままプリントに書き込み始める。
 間に弁当を流し込む状態だ。
 悠の視線に気付いて、ふと視線を上げた。
「……ああ、行儀が悪くてすまんな。学校の課題だ」
「樹に見せてもらったりしないのか」
 千影はその答えを、鼻で笑う。
「楽をしたところで、テストで結局打ちのめされる。だったら手を抜かない方がマシだ」
 やけに自分のことを聞いてくる日だな、と考える。
「……家族に教えてもらったりとかは」
「悠」
 喉から出てきたのは、心の底が冷えるような声だった。
 悠の瞳が揺れて、気まずい空気が流れる。
「詮索するな」
「……すまん」
「うん」
 千影は何事もなかったかのようにプリントの問題を解き始める。
 悠が千影にここまで拒絶されたのは、初めてのことだった。
それでもきっと、貴広に言うぞと脅せば、千影は言うのだ。
 口を開こうとして、悠はやめた。
 どのおかずも美味しくて弁当箱を空にした悠は、綺麗に包み直して千影に返す。
「ごちそうさま。すげえ美味しかった」
 シャープペンシルの芯を戻した千影は、それでも興味無さげに悠を一瞥して弁当箱を受け取る。
「そうか。まあ、私の弁当なんかで悪かった。じゃあこれ、返してもらうぞ」
 千影は上着を取り、袖を通す。
 バサバサと乱暴にプリントを入れ、カバンを肩にかけた。
「……どうした。ケーキ奢ってくれるんだろ」
「あ、ああ」
 慌てて立ち上がって、悠はただ千影についていく。
 知りたいという気持ちがありながらも、踏み込んではいけない。
 貴広にだったら、言うのだろうか。

 外は晴れていて、そして蒸し暑かった。
 ショッピングビルが並ぶ街中を、中高生が騒いですれ違っていく。
 千影は眩しそうに目を細め、どこがいいか考えていた。
 元々外出が多いほうではない。ここの辺りも、詳しくはなかった。
「何処に行きたい?」
 悠の問いに考えこみ――そして、思い浮かばなかった。
「悠の行きたい所がいい」
 千影の表情に、悠の心臓が鼓動を刻み始める。
 そんなこと言われたことがなかった。
「じゃあ……ああ、気になってる店がある。味はわからないけど、いいか?」
「いいよ。あっ」
 つまづいて転びかけた千影を、悠は素早く支えた。
 その小さな手に触られただけで、もう抱きしめたくなってくる。耐え難い情欲だった。
「大丈夫か」
 千影は、目を見開いて悠を見ていた。
「……千影」
 ハッとした千影は、すぐに元の表情に戻って体勢を立て直す。
 頭の中では、アリシアとディートハルトだったときの記憶がぐるぐると回っていた。
 どのように出会い、時を過ごし、死を迎えたのか――そこまで見えてから、自分の手を握る悠の力に引き戻された。
「っ……ごめん。その店、何処にあるの?」
「……すぐ近く。そんなに歩かないから大丈夫だろうけど、足痛かったら言えよ」
 体調が悪ければ、自分から言うだろう。
 悠はそう思いながら、手を差し出した。
「うん、大丈夫。美味しいといいな」
 千影はその大きな手に自分の指を絡めて、歩き始める。

 途中で見たアクセサリーショップに、千影は立ち止まる。
「見ていくか?」
「……いいかな。すぐ終わらせる」
 まるで、本当のデートみたいだ。
 自惚れなのはわかっていながら、悠は千影に歩調を合わせて店の中に入る。
 真っ先に彼女が手に取ったのは、青いストーンがついたネックレスだった。
 星の真ん中にストーンがあしらわれているそれは、彼女の手の中で光る。
「……買おうか」
 悠に言われて千影は、首を横に振った。
「欲しかったら自分で買う」
 すぐに彼女は、視線を他のアクセサリーに移す。千影なら五分で店を出ることも躊躇わないだろうと思った悠は、そのネックレスを持ってすぐに店員に声をかけた。
 様子を察していたらしい店員は、千影にバレることのないよう会計を済ませ、包みを持って素早く渡してくれた。
 帰りに渡そう。
 そう思いながら悠がポケットにしまった直後、千影が歩いてきた。
「満足した。退屈だったろ、悪かったな。出よう」
 意外とスリルがありましたよ、と、こっそり思う。
 ずっと悠が気にしていた店は、地下の店だ。
 階段を降りてドアを開けると、落ち着いた初老の男性が迎えてくれる。
 店内は外国のようなテイストで、ワインレッドのソファがある席に二人は腰掛けた。
 クラシックが邪魔にならない音量で流れている。
 千影は黙って目を閉じて、その音に耳を傾けていた。
 アイスコーヒーを注文した悠と、ガトーショコラとミルクを注文した千影はしばらく黙り込んでいた。
 そしてこっそりと悠に告げる。
「落ち着くところだね」
「ああ」
 彼女が本心を見せるとき、男性らしい口調が崩れることに悠は気が付いていた。
 それがわかっても、なにを話していいのかはわからない。
 先にコーヒーとミルクだけが運ばれてきた。ミルクの入ったコップにシロップを入れた千影は、顔を上げる。
「お待たせしました。ガトーショコラです」
 テーブルの上に置かれたケーキは見るからにしっとりとしていて美味しそうだ。
 チラと悠に視線を寄せたマスターは、千影に向かって微笑みかける。
「とても素敵な彼氏さんですね」
「いえ、違います」
 笑顔で千影は即答し、ガトーショコラを一口含んだ。
 悠にその言葉がグッサリと刺さり、マスターは慌てるが、千影がすぐあとに「このケーキとても美味しいです」と付け足すことで話題をそらす。
 思わず悠は、心臓を押さえた。この一撃がこんなにも効くとは。
「……ん、美味しい」
「そ、そうか、良かったな」
 これは堪える。それでも笑顔を保っていると、ずいとケーキの乗ったフォークが差し出された。
「はい」
 固まってから、千影が気付いたようにその手を戻そうとする。
 その手首を即座に悠はつかんで、彼女の持っているフォークからケーキを食べた。
 自分のしたことに気付いたらしい千影は動けなくなっている。
「美味いな」
「わ、悪かった、樹にしてるから、クセが」
「もう一口、食わせて」
 手を離して、悠はコーヒーを口に含んだ。
 甘さがコーヒーの苦味で溶けていく。意味を察した彼女は、悠に差し出す。顔は真っ赤だ。
 悠はためらいもなく、そのケーキを口にした。
 やっぱり美味しい。
 千影が食べさせてくれたからというのも、きっと、いや、絶対ある。
「……そういえばお前、本当に強くなったな」
 昨日の経緯を思い出して、悠はポツリと口にした。
 それを聞いた千影は、目に見えて表情を喜ばせる。
「ほ、本当?」
「ああ。少なくともあのときお前来なかったら、俺死んでたし」
 死ぬかもしれないと思ったときに、なにも感じはしなかったけど、と心の中で悠は付け足した。
 その言葉を聞いて、千影はムッとしたようにまゆを吊り上げる。
「死んでたしって、そう簡単な問題じゃないだろう」
「いやまあ、死ぬときは死ぬし。でも、お前が俺の背中守ってくれたら平気だな。陸と組むと近接攻撃だけになって隙突かれると、どうしたって怪我するし」
 その諦めているような言葉の間に、自分を信頼していると取れる言葉があったせいで千影は怒っていいのかわからない感情に陥っていた。
 それでも、悠がそういうのなら、自分は悠の背中を守っていいのだろう。
 純粋に強くなれた喜びと、褒められた喜びが重なる。
「……死なせないから。私が悠を絶対護るから」
「それ、普通は俺のセリフなんだけど」
 苦笑いをして、悠はコーヒーを飲んだ。
 店内には数人の客がいるが、どの人たちも自分たちの世界に入っている。
 今度から一人になりたいときはここに来ようと、悠は背もたれに体を預けた。
「ああ……うん、そうかもしれないけど。でも、悠にそう言ってもらえて良かった。訓練してて良かった」
 ニコニコしたまま、千影はガトーショコラをぱくつく。
「悔しかったから。ビンタされたの」
 あーあれか、と悠は気まずく思いながらも彼女から視線をそらす。
 正当な怒りではあったかもしれないが、叩くことはなかったとこっそり悔いていたものだ。
「あれは悪かったよ。ごめん。言い訳しない」
「違うよ、私が悠の立場だったら、やっぱり同じことしてたと思うから。それだけ、人が死んでいくのを見てたんだよね」
 彼女の茶色い瞳に、見透かされた。
 そう思った悠は、視線を机上にあるテーブルに落として、ひたすら砂糖を眺め続ける。ひたすらどう思っているか悟られないようにして生きてきたのに。
 美亜のことを話そうと、口を開いたそのときだった。
 遮るように、千影の手が悠を止める。
「大丈夫だよ、言わなくていいから。そんな顔するほど辛いこと、口に出したら悠が辛いよ」
 最後のガトーショコラとミルクを飲み干してから、千影はカバンを持って立ち上がる。
「ごちそうさまっ。じゃあ私、寄りたいところあるから帰るね。また明日」
 好きだ。
 思わず叫びそうになった言葉を押し込めて、悠は見送るしかなかった。
 千影の姿が消えてから、長く息を吐き出す。
 目を閉じて、もっと深く椅子に腰掛けた。
「……あんなこと言われたら……ああ、もう」
 言われたことを何回も頭の中で繰り返していた。
 ポケットの中には、ネックレスの入った袋がある。
 そうして悠は、感情を認めた。


第13話へ続く


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