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永遠の紅蓮

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第11話 好きだよ


 波原は手紙を握りしめていた。
 蒸し暑い夜だったが、それ以上に手紙は汗で湿っている。
 波原は午後十時に待ち合わせ場所のベンチへ到着した。
 腰掛け、電灯の周囲に虫が群がるのを眺めながら、、煙草を取り出して火を点ける。
 赤く柔らかい光が、一瞬煙草の先に灯った。
 二本目を吸い終えたあと、背後からハイヒールの音が聞こえてきた。
 なおも波原の様子は変わらない。
 ただ煙を吐き出し、真っ暗な空をぼうっと眺めているだけだ。
 波原の横へ足を組んで腰掛けた女性は、波原に手を差し出した。
「一本貰えるかな」
 女性を一瞥した波原は煙草の箱を何回か叩き、一本飛び出た煙草の箱ごと彼女に向ける。受け取った彼女は、煙草を咥えたままライターを探し始めた。
 立ち上がった波原が、その煙草の先端を、女性が咥える煙草の先に押し付ける。じわりと、火が移っていった。
 そして波原貴広は、佐原涼子と真正面から目を合わせる。
 涼子の煙草に火がついたのを確認して、波原はベンチに座り直す。
「……随分と疲れた顔してるじゃないか、貴広。どうした」
「お前を殺すための計画を考えていた」
 紫煙が二つ、電灯に吸い込まれるように消えていく。
 涼子は忍び笑いを漏らした。
 紅蓮と氷蒼の頭が二人で会っているなど、仲良く煙草を吸っているなど、誰が予測できようか。しかもこれが、二人とも丸腰であるなど。
「そこまで私のことで頭がたくさんか」
「……そろそろ、お前らには手を引いてもらわなければならない」
 波原は憎らしい気持ちで、涼子の横顔をみつめた。
 どうしたって、自分は涼子を殺す。
「君が馬鹿を言う男だったとはな。面白い玩具が手に入った。高柳仁だ。君はまだ、会っていないかな」
「俺の部下が、世話になったようだな」
「ああ、あの子か。見つけた瞬間に、陸が面白いほど寝返ってな。仁なんか、テンションが上がりっぱなしだ」
 親指で煙草の灰を灰皿に入れて、涼子は微笑んだ。
「貴広、私は氷蒼で人を増やし続けるぞ。力さえあれば、いずれ紅蓮の炎も飲み込まれよう」
「氷が炎に勝るだと。笑わせてくれるな」
 三本目の煙草に火を点けて、波原は涼子の言葉を鼻で笑い飛ばす。
 氷蒼の人間は、確実に追い返す、あまりにもひどい場合は殺すことを許可している。
 許可しているのは、紅蓮のメンバーが気に病むことがないように、という気遣いからだった。
 責任は全て、おれにある。
「……涼子。なにを考えている」
「私か?」
 その微笑みは、美しく、そして、棘がある。
 波原が触れられる距離まで近づいてきた涼子は、その手で波原の首筋をなぞった。
 そして煙草を捨て、赤いルージュを塗った唇で波原に口付ける。
 彼も抵抗はしない。目を閉じ、涼子の体を抱きしめた。
 うっすらと開けた目は、ハッキリとお互いの輪郭を捉える。
「教えてやるものか。辿り着け」
 お互い引き寄せられるように、波原と涼子はまた、唇を重ねた。
 彼の持った煙草の灰が、アスファルトの地面に落ち、崩れていく。

 剣を地面に突き刺し、千影は汗だくの顔を上げる。
 もっと強くなりたいのに、なれない。
 こうして五時間延々と訓練していても、目の前の悠は顔色ひとつ変えず、汗ひとつかかず立っている。
 剣を鞘に収め、悠は一つ、息を吐いた。
「夜九時だ。終わりにするぞ」
 悠は千影に背を向ける。マントが翻って、次の瞬間彼は私服に戻っていた。
 今日はもうやる気がない、という主張だ。
 へたり込むようにして、千影も変身を解いた。スカートから伸びる足には、赤黒いあざがいくつも浮かぶ。
「あ、した、は午前十時から、頼む」
 息も絶え絶えに口に出す千影を、振り向いた悠は呆れ顔で見つめた。
 そして彼女の方へ歩んでいき、デコピンをした。
 あまりの痛さに額を押さえて、涙目で悠を睨み付ける。
 しかし我関せず、悠はそのまま千影の頬を引っ張る。
「あのなー、俺が休みたいの。それともなに、俺出掛けるのに付き合ってくれんのか?」
「……そのあと、訓練してもいいなら」
 頬をさすりながら、答えた。
「……相変わらず強情なことだ」
「わっ……!?」
 悠は腕をつかみ、そのまま引き上げた。
 足がよろけて、千影は悠の身体に寄り掛かる。
 悠は嫌がるような様子もなく支え、むしろ柔らかく抱き寄せるようにしていた。
 鼓動が伝わってきて、自然と頬が赤らむ。
「じゃあ、明日はデートだな。安心しろ、全部俺持ちだ」
「自分の飲食代くらい自分で払う、子供扱いするな!」
 悠の胸板を押し返す。
 言い過ぎたかもしれない、と考えて、一言だけ付け足した。
「……別に怒ってるんじゃないからな!」
 今のは子供扱いでなく、女性扱いなんだが、と悠は吹き出す。彼女は子供扱いが、嫌いらしい。
 抱き締めた手の平を、じっと見つめる。
 もし自分がもっと早く千影に会えていたら、とその手のひらにくちづけて悠は目を閉じた。
 なにか自分の生き様は変わったのだろうか。全く、想像できなかった。

 カバンを持ってシャワー室から出てきた千影は、すぐそばで悠が腕を組んで壁に背を預け目を閉じているのを見付ける。
 何事かと近付いてみれば、微かな寝息が聞こえてきた。
「た、立ったまま寝てる……?」
 千影を送るために待っていたのだろう。目を閉じてさえいれば、綺麗でカッコいいのに、と考えて千影はハッとする。褒めていない。
 それでも悠の目は覚めない。
 悪戯心が起きてきた千影は、その人差し指を彼の頬に寄せる。
 さっきのお返しだ。
 触れるか触れないかのところで、彼の目が見開かれた。
 千影は驚き離れようとして、向かいの壁に体ごとぶつかる。
「……なにしてんだ」
「え、あ、いや、気にするな! これは猫背を治すための運動でな!」
 射抜かれたかと思った。
 そのくらいに悠が持つ眼力は強く、そして、なにかを奪われそうだ。
 彼は不思議そうな顔をしながらも、体を壁から離して数歩先に歩き始める。
 向かっているのは、玄関だ。ポケットに手を突っ込みながら歩き、たまにあくびをする。
 考えてもみれば休暇に入ってから、ほぼ毎日悠を訓練に付き合わせている。
 呆れ顔はするが文句も言わず、黙々と千影の攻撃を受け流し、指導する。
 そのあとに悠がなにをしているのか、千影は知らなかった。
 と言うよりは、考えなかった、というのが正しい。
 他の女性とのデートもあったかもしれない。大学の授業があったかもしれない。
 そこまで考えが至らなかった自分に、千影は歯を食い縛る。
 ――周りが、見えなくなっていた。
「……悠、お前、私と一緒にいる時間で何人のデート断った」
「お前に気にされることじゃねえな。ほんの五人だ」
「何時間寝てる」
「それもお前に気にされてもなあ。四時間は寝てるぞ」
 何事かと立ち止まった悠の背中に、千影の頭がぶつかった。
 しかし悠の背中から、千影の頭が離れる様子はない。
「……気を遣えなかった、ごめんなさい。あなたにも、予定があるのに」
 いくら喧嘩をしていても、悠は自分のパートナーで、そして尊重するべき相手だ。
 言いたいことが言えるからといって、振り回していい理由はない。
 悠はキョトンとして、千影の方を向いた。
 笑顔を浮かべて、右手で千影の頭を撫でる。
「いきなりどうした。気にしなくていい、俺がしたくてしてるんだぞ」
 泣きそうな千影の顔を隠すように、柔らかく抱きしめる。
 大きな悠にすっぽりと包まれた彼女は、それを拒絶しない。
 陸の言う通り、千影は柔らかくていい匂いがした。
 てっきり突き放されると思っていた千影は、珍しく悠の見せた優しさに甘えそうになる。甘えそうになって――持ち直した。
 私が好きなのは、貴広さんだ。
 手で悠の体を押しのけて、千影は絨毯の模様を睨み付ける。
「……お前がそんな言葉を吐くのは、私が貴広さんよりお前を好きになったら面白いと思ってるからだろう。乗らない。絶対に、乗らない」
 吐き捨てるように千影は言い放つ。その言葉は、悠の心を鋭くえぐった。
 千影がどんどんと先に歩いていくと、珍しく困惑した悠の声が聞こえてきた。
「……お前の、家まで、」
「いい。陸くんが迎えに来てくれるから。待たせてすまなかった。明日は麗奈とデートしてくれ、お前と出掛けられなくて寂しがっている」
 お前と二人で出掛けたい。
 言い掛けて悠は、その口を咄嗟に閉じた。既に彼女の姿は見えない。
 スマートフォンで連絡を取ろうとして、悠はそれを握りしめる。
千影の電話番号もメールアドレスも、知らなかった。
 伝える手段は、なにもない。

 ホールから外に出た千影は、そこに陸が立っているのに気付く。当然のように立ち、笑顔で千影を待っていた。
「おお、千影ちゃん。お疲れ様―。今日数学の課題進めてたよ、オレ。帰りなにか食べてく?」
 千影の歩調に合わせて、陸は楽しげに話し掛けてくる。
 そうだ、彼は自分のことを知ってからでいいと言ってくれた。だけど、貴広さんを好きなことを伝えていない。
 なのに、こうして甘えている。
 誰にも誠実にあれない自分に、千影は気分が悪くなる。一人に、なりたい。
「ううん、大丈夫。帰って寝たいかな」
「そっかー、疲れてるもんね。今日は特に疲れてるみたいだし」
 麗奈なら「いいじゃん、甘えなよ」というだろう。それは、いけない。
 言わなくてはならない。
「……千影ちゃん?」
 不意に、陸の目が真剣になった。それの倍、数倍は千影の目が真剣だったのだ。ただならぬ様子を感じて、陸は立ち止まった。
 ずっと先に見える車のライトが、いくつも通り過ぎていく。
「どうしたの」
 喉から声が出なかった。なにを言っても、陸を傷付ける。甘える。利用する。
 許されるわけがなかった。
「ご、めんなさい、やっぱり一人で、帰るね。ちゃんと、帰るから」
 出た言葉はそれだけだった。陸の瞳が、訝しげに細められる。
 だけど一秒たりとも、自分が陸と一緒にいてはいけないような気がして千影は走り出す。
「千影ちゃんっ!」
 勝手な行動だとはわかっていた。わかっていても、一人になりたかった。
 人の好意に甘えている自分から、逃げ出したかった。
 どのくらい走ったかわからない。足の筋肉が疲れて、一歩進むにも激痛を伴う。
 スマートフォンには陸からの着信が来ていたが、かけ直す気持ちにはなれなかった。
 公園のブランコに腰掛け、喘ぐように空気を求める。
 落ち着いた頃に、計らったかのように誰かの靴が見えた。
「こんばんは。やっと一人になったね」
 顔を上げると、ニヤリと笑みを浮かべる高柳が立っている。
 まずい。そう思ったけれど、もう歩けない。
「……殺しに来たのか」
「いいや? 僕がいいことを教えてやろうと思って」
 隣のブランコに高柳が腰掛け、こぎはじめた。
「アイツ、蓮見悠。元カノいるって、知ってる?」
「知っていたら一体なんなんだ」
「それ、涼子からの指示を受けて僕が殺したんだよね。蓮見悠の表情の変わり様が面白くてさ。ディートハルトとは思えないくらい。ああ、でもアリシアが殺されたときに同じような顔はしてたかなあ」
 無邪気に、明るい声で高柳は話し続ける。
「それからなんか、いつあとつけても女の人といるんだよ。あの女が死んで、アイツは悲しいんだろうねえ」
 紛らわせるためだったのか。
 千影はぐ、と、両手を握る。落ち着いていられない。
「なにが言いたい」
「そんなに怖い顔をするな、アリシア」
「言っておくが、私の前世の記憶は断片的にしかない。私はお前の望むアリシアではない」
 そう伝えると、高柳は先の笑みよりも更に深い、下卑た笑みを浮かべた。
 千影の背筋が凍る。
「そんなことはどうでもいいんだよ。アリシアと取引をしようと思ってね」
 ブランコの横に設置してある電灯が、電力を失ってふと消えていった。

 紅蓮の中に入ってきた陸は、エントランスホールで外に出ようとした悠に鉢合わせする。面食らったように悠は、一歩後ずさった。
「兄貴」
 その距離を、陸が瞬時に詰める。
 彼のとてつもない威圧感と怒りが、悠の動きを止めさせた。
「千影ちゃんに、なにかした?」
 目が、合わせられない。
「……いや」
 していないとは言えない。消え入るような声でそう答えた悠の胸ぐらを、陸は思い切り掴み上げる。
「千影ちゃんはなにかオレに隠している。それは兄貴に関係してるな。吐け」
「な、んでそんなこと、わか、る……」
「兄貴がここにいたことが証明だ、また傷付けるつもりか、また、彼女を傷付けるのかっ!」
 一度たりとも、この双子は前世の話をしたことはなかった。
 それはレオという人物がディートハルトに怒りと恨みを抱いているからであり、陸と悠は全く別の人物だからだった。
 耐え難い、腹の底で煮えたぎる怒りを陸は悠にぶつける。
「……貴広が好きな、千影を脅して、俺が、千影と付き合っている、だけだ」
 意識が飛びそうな寸前で、陸は悠を離した。激しく咳き込む悠を、陸は冷たい視線で見下す。
「ああそう。じゃあ千影ちゃんがオレへの罪悪感でたくさんになるわけだ。兄貴は最低だ」
 陸は壁を思い切り殴る。
 瞳孔が開いた陸は、ひたすら双子の兄を睨み続けている。
 わかっていた。今までそれを突きつける人が、悠にはいなかっただけだった。
「オレは千影ちゃんが他の誰を好きでも、千影ちゃんはオレに甘えていいし、利用していい。そういうつもりで千影ちゃんのそばにオレはいるよ。兄貴はどうなの」
 少しも視線をそらさないまま、陸は悠に向かって言い放つ。
 床に座り込んだままの悠は、なにも答えられなかった。
 十数秒経ってから、陸は壁から手を離す。
「言っておくけど、千影ちゃんは絶対に兄貴から離れないよ。優しいから。兄貴が腹の底になにか抱えてるの知ってるから、絶対に兄貴を突き放さないよ」
 悠は手を握りしめる。陸の言う通りだ。
 千影が疲労で倒れた日から、妙に優しくなっていることに悠は気付いていた。
そしてそれに甘えていたのも、確かだ。
「……お前、知ってるのか」
「オレは氷蒼にいた人間だぞ。兄貴が抱えてるもんの正体なんて全部知ってんだよ。紅蓮でも知らないのは千影ちゃんと樹くらいだろ」
 フラフラと立ち上がった悠は、壁に寄りかかって陸を見た。
「なあ、千影ちゃんをどうしたい、兄貴。オレはあんたがこのまま逃げても責めはしないよ」
 どうしたい。
 考えて悠は、片手で顔をおおった。
 亡くなった彼女、美亜だけを愛し続けると決めて、落ち込んでいるように見えずに済むよう努めて遊び人のように振る舞ってきた。
「……わからない」
 そんな悠を、陸は殴らなかった。
 責める気持ちも、なかったのだろう。
「……ああそう」
 陸の気配が遠のいていく。完全に気配を消えてから悠は、しばらく黙り込んだ。
 少しずつ、他の女性より千影といる時間が増えていく。
 それがなにを意味するのか、それでも悠は、言葉にしない。

 その日の夜十一時、悠は波原からの着信で目を覚ます。恐ろしく疲れて、そのまま寝てしまったのだ。寝ぼけながらも受話ボタンを押す。
『悠、悪いな。行ってくれるか』
「……何処だ」
 タンクトップの上に半袖のジャケットを羽織り、ジーンズを履く。住所を聞いてから、悠ははたと気付いた。
「千影は」
「連絡が繋がらなくて、樹に電話してみたら部屋で爆睡しているらしい。訓練のしすぎだろう、少し休ませてやろうかと思ってな」
 マンションの廊下に出て鍵を閉めた悠は、エレベーターの方を見る。
 悠の住んでいる階は五階だが、エレベーターは八階まで上っていた。階段で降りた方が早い。薄暗い階段を、悠は駆け降りていく。
「……それがいい。俺一人でも、問題ないからな」
「ああ、いや。その代わりに陸を手配してある。息が合うと思ってな」
 悠は顔を引きつらせた。
 いや、波原は悠が陸と喧嘩、らしきものをしていることを知らないのだ。
 だったら、そう来るのも当たり前だ。
 場所を手短に告げた波原は、アッサリと電話を切る。
 すぐに悠は地下の車庫から黒いバイクを出し、エンジンをかける。
 夜中だからできるだけ音は出したくないが、緊急だ。
 近所の人たちに心の中で謝りながら、悠はバイクを走らせた。
 少し離れたところにバイクを停め、悠は走り出した。魂でわかる。近くに陸がいる。
「兄貴!」
 鋭い声が前から聞こえた。人通りは少ない。横にそれた公園のすみで、薄赤い膜が見える。
 公園に入り、素早く駆けていく。
「陸、行くぞ!」
「了解」
 膜に入る一瞬で悠と陸は姿を変える。
 抜けた先には、女性が泣き叫んでいた。
 悠は目の前に立っている高柳に向かって、斬りかかっていく。
 高柳はその剣を、当たり前のように受け止めた。
「……本当に貴様らは、僕の邪魔をするな」
剣と剣が火花を散らして、互いの獲物の根本までギリギリと重なる。
 その悠を飛び越えて、陸の槍が高柳の脳天に突き立てられようとした。
 寸前で悠は後ろへ跳び、高柳は紙一重でかわそうとする。
 だが、そうはいかなかった。
 彼の頬を、陸は槍で薄く裂いた。噴き出た血が、つうと高柳の頬を染める。
 女性を背後に庇いながら、悠は叫んだ。
「逃げろ!」
 切り裂いた空間の先を、女が足をもつれさせながら逃げていく。あの様子では、なにを見たのかも明日忘れているだろう。
 高柳は立ち尽くしていた。
 その隙を逃したりはしない。
 剣を構えた悠は、思い切り駆けた。
「陸、跳べ!」
 意味がわかったのか、陸は間髪入れずに高く後ろへ跳んだ。
 その下を、悠が走り抜ける。
「っ……本当に、二人揃うと厄介だ――っ!」
 顔の左半分を真っ赤に染めた高柳は、その剣を投擲する。それは悠ではなく、陸に向かって飛んでいく。
 ――いや、大丈夫だ。
 後ろも振り返らず、悠は走っていった。
 反対に高柳が怯んだ。
 陸は向かってくる剣を、的確に弾く。
 力を失って地面に突き刺さった剣は、消滅していった。
「兄貴、こっちは心配ない!」
「ああ!」
 剣を失くした高柳は、悠の刺突をかわした。
 更に勢い良く悠は斬り込んでいく。
 しかし剣は空を裂き、代わりに高柳の足払いが悠の足をもつれさせる。
「げっ……」
「間抜けが」
 再び高柳の手に現れた剣が、悠の心臓を狙う。
しまった、これはかわせない。
 陸の槍も届く気配ではない。
 高柳を防ぐには、コンマ一秒、足りない。
 死を覚悟した一瞬だった。
 青い矢が、空を切って高柳の肩を貫く。
 第二撃が更に彼の手首を貫通した。
 第三撃の矢は、右足の太ももに突き刺さって高柳の動きを完全に止める。
「がっ……あ」
 膝をついた高柳の前に、尻餅をついた悠の前に、槍を構えた陸の前に、青い髪の少女が背筋を伸ばして立つ。
刺さった矢からは、氷が湧き出て高柳の腕、肩、右足の動きを見事に止めた。
 倒れた高柳は、動かない。
「……間に、合った」
 悠がポカンとしたまま、千影を見上げる。後ろを振り向いて、彼女はポロリと一粒涙を落とす。
 そのままツカツカと歩いてきて、思い切り悠の頬を殴った。
「いっ……な、なんだってんだ、俺がなにしたって」
 今度は左手でのビンタが飛んでくる。なにかわからないけれど、怒っている。
 それを感じ取った悠は、彼女の答えを待つために黙る。
「……お前が、お前が私に、時間稼ぎするまで待てって、前に私を殴ったんじゃないか、お前が約束を破るな、破るなっ」
 そこでようやく悠は、自分が心配されていたという事実に気付く。
 なんともわかりづらい、攻撃的な心配の仕方だ。
 手の甲で涙を拭きながら、千影は嗚咽を漏らす。
 もう一人、制裁を加えなければいけない人間がいる。
 立ち上がって、今度は陸の元へふらふらと歩いていった。
「ち、千影ちゃん……」
 そのまま彼女は、陸の胸板に一撃を入れる。
 陸が咳き込む声が聞こえたが、それでも燃えるように怒りの気持ちが湧き出てくる。
「陸くんも、バカだっ……!」
 彼自身も、心配させたことはわかっているらしい。ただ謝っている。
「……まあ、なんにせよ、助かった。危うく殺されるところだった」
「本当だっ!」
 千影は悠を睨み付けた。
 なのに苦笑いを浮かべているし、わけがわからない。
「私はまだ、陸くんのことは少ししか、お前のことは一ミリくらいしか思い出してないんだ! 死なれたら……困る……っ」
 最後の方は、消え入るような声だ。ぺたんと千影が座り込んで、とうとう本格的に泣き始める。
 悠と陸は目を合わせ、慰め役を押し付けあう。
 近くにいた悠が負け、ずりずりと千影の元へ行った。
「……悪かった。今度ケーキが美味しい店に、連れていく」
「っ……五個食べたい。チョコの」
「お前、そんなに食うのか……」
 完全にいじけている千影を見て、悠は苦笑いを浮かべた。彼女を泣かせて心配させた罰ならば、甘んじて受けよう。デートの口実も、できたことだ。
「あと、ラーメン食べる。美味しいの」
「食欲あんなあ、お前」
 思わず悠は、表情を綻ばせた。
 そして、視線を高柳に移し、動かないことを確認する。この怪我では、しばらく動けまい。彼女の訓練の成果が、確かに出ていた。
「陸。殺すか」
「貴広はなんて?」
 軽い運動をするように槍を回転させて地面に突き刺してから、悠の目を見た。
「しばらく泳がせろ、とは言われている」
「じゃあ、惜しいけど退避でいいんじゃないかな。オレ、貴広の命令に背けるほど命知らずじゃないや。千影ちゃん」
「かっ……帰ろう。帰らなきゃ、駄目だ」
 結論を決めた三人は、結界の外に出る。
 有事を乗り切った今となれば、千影、悠、陸はそれぞれが、それぞれに対して気まずい思いを持っている。なんとか千影はこの雰囲気を奪回できないかと必死に考えるが、思い付く言葉がない。
 悠は気まずそうに煙草を口に咥え、手を振って歩いていく。
 陸は数秒考えるようにしてから、ニッコリと彼女に笑いかけた。
 許すという気持ちが、伝わってくる。
「送るよ」


第12話へ続く


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